ふるさと 岡本久一
漁夫の血はわれにも流れ春の海
春の海を見ていると、海中深く潜って魚や貝
を取った昔が思い出される。又、海洋に出て
巨大なカジキマグロを釣りたいとの衝動にも
かられる。
私には漁夫の血が流れていると思われて
ならない。穏やかな春の海は私に
「人間のルーツは何か」と海洋民族の
いにしえの血がささやきかけて来る。
ただの棒客観写生のつくしんぼ
客観写生は正岡子規が唱えた「写生論」を
虚子なりに発展させた俳句の要諦である。
俳句は短いため事物を見たまま報告するの
ではなく、自然を具体的に描写し的確に
伝える意思である。
「去年今年つらぬく棒のごときもの」の
句は高名であるが、つくしんぼ程の句と
の疑念が起こる。
一万年気長に待てば亀の鳴く
鶴は千年亀は万年の長寿を祝う。誰も
亀が鳴く声を聞いていないが、世界七大文明
の一つ、縄文時代の一万年程の期間であれば
、どなたかが聞いた可能性がある。
一万年を待つ心の持ち様があれば、長寿のシ
ンボルである亀は鳴いてくれるであろう。
補聴器をつけて蚯蚓の本音聴く
補聴器は音を増幅して聞こえやすくする。
その補聴器をつければ蚯蚓のうったえも聞く
ことが出来るであろう。人間の聴診器は人間
の胸に当てるが、みみずのどこに当てれば
よいであろうか?
本音を聞くためには「虎穴に入らずんば
虎子を得ず」のことわざがあるのだが・・・。
留守と言へ鯨を釣りに行ったと言へ
嘘とホラの極致かと存じます。自称勇壮な
漁夫である久一氏の心意気と思うと、にわか
に現実味を帯びて参ります。このセリフを
言えるのは、ヘミングウェイと開高健と
岡本久一の三氏に限られるでしょう。
それにしても胸のすく爽快感があります。
さて、それを聞いた奥様は?
ふるさとは戦艦大和という海鼠
一様にある故郷。沖縄や北海道が良いという
つもりはありません。海鼠の自慢の種はサン
ゴ礁の海か戦艦大和が横たわる海底なので
しょう。
ところで、海鼠は赤が良いとか、青が良い
とか言いますが、私は戦艦大和ほどもある
海鼠の「このわた(海鼠腸)」や金海鼠に
お目にかかりたいと念じています。
16句中の6句を掲載したが、久一氏の俳句
はコロナウイルスの様に人間好きである。
気が付くと、肺や呼吸機能にまで息吹が
広がっている。それがまた心地よい陶酔感
を呼び起こす。
かるみや俳諧味という言葉で一括り出来な
い、一種の聖域=久一ワールドにはまり
込んでしまう。
酒仙のような久一先輩は久米の仙人の
DNAを隠し持っているに違いない。了。