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by kodaira220

俳句アラカルト




  俳句アラカルト   清 水 弘 一


みはるかす木の芽に恃む隠岐の国  三浦土火
-多摩のあけぼの 創立三十周年記念句集より-


 隠岐の島は島根県北東部 大山隠岐国立公園の一部ですが、どの様な景勝の地であるか
想像出来ません。 牛突き(闘牛の一種であるが勝負をつけないのが特色)、関取の 隠岐の島
ぐらいしか知識がありません。

 島全体が春の胎動の時期、みはるかすかぎり樹木の赤芽・白芽が膨らみあふれ島全体を
おおうように生き生きと生気がみなぎる青い海との情景が思い浮かびます。

 隠岐の島の初春の景を詠んだものと早とちりしましたら、隠岐の国でした。
木の芽に恃(たの)むの意味合いが、急きょ歴史の舞台上の人物へと大きく展開します。

 隠岐の国に配流された御醍醐天皇が反鎌倉幕府側の挙兵者達と計り脱失する。
建武の新政で政権を奪い返す波瀾の人生とへと想いが繋がり、その不屈の精神と置かれた
状況が木の芽に恃むという意志に現れて感じ取れます。

 御醍醐の約百年前 中世屈指の歌人である後鳥羽上皇も隠岐の国に流されます。
1121年から崩御するまで10数年を隠岐の島で過ごされた。1121年島のみすぼらしい御所で
詠まれたとされる歌には王者の自負と矜持が感じられます。

   われこそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け 後鳥羽院
(我こそはこの島に新しくやって来た島守であるぞ、隠岐の海の荒々しい波風よその事を心に留めて、十分気をつけて吹くのだぞ)

 もう一人 平安時代の参議 小野の篁(たかむら)も838年流罪となり、その思いをしたためた詩歌
があまりに素晴らしいので840年平安京に呼び戻されております。遣唐使に選ばれ乗船した船で、
遣唐大使への不満を公然と吐き、嵯峨天皇のお怒りに触れ流罪となった偉丈夫です。
書も漢詩も政治も陰陽道にも名を遺しております。小野神社は数か所にあります。

 隠岐の島には天皇・上皇・参議など 平安・鎌倉幕府を敵にする上記3名のつわものであればこそ、
隠岐の島から島全体を、海原を、日本国の政権をもみはるかす心意気が伝わって参ります。  
                                           了。
by kodaira220 | 2017-01-31 06:41 | 俳句