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バック・パッカーの一人旅をお勧めします。


by kodaira220

東北 片思い


  奥の細道
     2

   遊行柳・朽木柳

今夏は高温快晴に恵まれ、那須町芦野の水田の稲が緑に輝き生命力の確かさを謳歌する。那須の大地は緩やかな傾斜で、山麓から少しづつ広大な棚田状に下がり広がる。遊行柳は棚田部の中低間位の高さに位置する。

やや広めのあぜ道の一画(田の畔)に遊行柳と朽木柳の二本が刈り込まれることもなく伸び放題に枝を伸ばしている。西行が詠んだ歌の時代から、
何代目の柳なのであろうか?

柳の手前に二本の桜、ソメイヨシノであろう桜樹が所在無く立つ。
西行が殊のほか桜が好きであったことから、柳が芽吹く早春から萌黄色の葉を揺らす柳の若葉に合わせ、咲き競うようにと植樹したのであろうが、不釣り合いの感がいなめない。

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遊行柳・朽木柳

遊行柳と朽木柳のゆかりの植樹をしようと思うなら、柳の美しさを強調する 柳の木を田のあぜ道に1キロほど植えて頂くのはいかがであろうか。 中国でも柳は街道沿いに整然と植えられ目を引く景観となっている。 銀座の柳ではないが、柳は柳の樹だけで美しい風情を演出する存在である。更に柳絮の飛ぶ季節も風情があり一興である。

そんな思いで国道294号線に戻ると、水田が最も底部を形成しているその旧東山道の街路樹として遊行柳の目印の如くに柳の成木が数本ある。これはこれで、街路樹として増やして頂くと一層分かりやすい目印となるであろう。

ところで、芭蕉翁に「この柳みせばや」と誘ったとされる芦野の領主戸部某の自慢した柳とはどの様な枝ぶりで、どれ程の大きさであったか興味をそそられる。

柳の枝は中国の映画のシーンや小説にしばしば登場する。送別のシーンの際に、
中国服の筒袖の袂から相手に鄭重に渡されるのを見てどの様な意味合いかと不思議に思っていた。
「折柳送別」と言い、旅人の道中の無事を祈る。女性の場合 若さを保つ意味も込め、髪に挿す風習でもあった。柳は春一番に芽を出す強い生命力と邪気を払う意味合いがあったのである。

 日本でも、柳箸 (両細で中央がふくらんだ丸箸) は正月の縁起の良いスタートの意味であるし、盂蘭盆会の神に捧げる膳の箸も柳の白木であった。柳の枝を結んで輪にする「結び柳」も邪気を払う意味あいが強い縁起物と思われる。

道のべに清水流るる柳かげ
 しばしとてこそ立ちどまりつれ    西行

田一枚植えて立去る柳かな

西行と遊行柳への挨拶句は しばしとてこそ立ちどまりつれ の付け句となっている。
西行への思慕の情が溢れ出ていると同時に、芭蕉の連句の完成、ひいては 広義の
枕詞となって響いてくる。

白洲正子著「西行」によれば 「西行の家系は、むかで退治で有名な俵藤太秀郷にさかのぼる」。由緒ある家柄で、奥州平泉藤原三代との関係も深い。従い二度の奥州への旅の途上に必要な情報は無論、都に集まる奥州地方の様子や遊行僧からの噂話等からも「遊行柳」の事を聞き及び立寄ったのであろう。

幾重にも想像していた遊行柳を見た芭蕉は、悠久の歴史と西行の歌を思い比べる。視界いっぱいの植えたばかりの青い穂が真っ直ぐに立つ。それが模様として連なり
芭蕉の目をいやす。
一方 目の前の水田ではこれから田植をする村びとのいでたちが目に映り、動的な躍動感が伝わってくる。水を張ったたんぼが空の青さを映しだし、植えたばかりの
田の稲の田に目を癒し、思いを馳せしばし感慨にふけった。
現在 栃木県産コシヒカリは大変おいしいと評判であり、事実美味しい。 つまりこの那須地方一帯を含む栃木県の北部のコメが美味しいと言われている。芭蕉が訪れ、田一枚と詠んだこの地の米が好評であることに素直にうれしさを感じる。
by kodaira220 | 2015-10-12 10:13 |