バック・パッカーの一人旅をお勧めします。


by kodaira220

俳句アラカルト



  俳句アラカルト  清 水 弘 一



夏の蝶厚化粧して飛び立ちぬ      小林晋作

- 多摩のあけぼの 創立三十周年記念句集より -   2017-40

蝶は春の到来 温かさを運んでくれる麗しい
ニンフである。
白や黄の春の色につつまれて
目覚まし時計の様に春を告げる。

夏の蝶は種類も豊富となり、優雅さから
精悍な顔となりたくましさを感じる。
春の蝶が日本舞踏なら、夏蝶はジャズか
ストリート・ダンスのスピード感である。

ミカンやスダチ等の柑橘類やフェンネル等の
ハーブの葉に好んで集まり旺盛な食欲を見せ
多くの葉を平らげ、羽化する。夏のアゲハ蝶
等に成長する。


羽化すると成虫になるのであろう直ぐに交尾
する個体も見かける。数え方は一羽・一匹・
一頭と言われるが、一体と数えても間違いで
ない様に思える。

夏蝶の種類は多い、これほど多種多様であっ
たかと目を見張る。夏蝶の多様さは当然花の
種類の多さに比例していると思われる。
花の多様さに合わせて蝶の大きさもストロー
状の口の形態も多岐にわたると想像される。

鱗粉を身にまとった多様なキアゲハや黑アゲハ
等のビロードや絹織物の様な表面に描かれた
紋様はあでやかである。豊富な色彩を施した
友禅染めやスクリーン技法の絵画、多色刷り
浮世絵、はたまたアールヌーボーのガレや
ラリックのガラス、ラスター彩の陶器に匹敵
する色彩と紋様の世界である。

孔雀の羽根のごとく美しく着飾っていると
感じるならば、厚化粧と見立てられぬこと
はない。蝶にたいする男性ならではの視点
と思える。

キリスト教で蝶は復活を象徴し、盆の時期
の黑蝶は仏様が乗っていると聞いた覚えが
ある。蝶の神秘さに古来の人間が精神の
やどりを感じたことも分かる気がする。

旅の達人として象徴されるアサギマダラが
数千キロを飛び続ける、その不思議な飛翔の
力にあこがれを覚える人も多いであろう。

蝶に対する人間の見方も多様である。
飛び立つ目的地はどこであるか? 
想像するのは楽しい。  了。






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# by kodaira220 | 2017-08-19 08:13 | 俳句 | Comments(0)

俳句アラカルト

  

  俳句アラカルト   清 水 弘 一



八月や六日九日十五日  荻原枯石

- 2017-39-


間もなく七十二回目の広島・長崎への原爆
投下の日 そして終戦記念日が参ります。

それらの戦争の出来事を 数字四文字、月の
一文字、日にちの三文字、助詞一文字だけで
詠まれた句です。日本の太平洋戦争の全てが
述懐されます。

人生の大半を終戦日と共に過ごして来ました。
教え子の多くやご子息をも大戦で亡くされて
おります。絶えざる鎮魂の祈りを捧げたこと
と思われます。

広島・長崎の被爆記念日も開戦記念日・終戦
記念日も毎年祈る気持ちで迎えられたことで
しょう。その心の重さに耐えながらの年月を
重ねて過ごされました。

癒してくれた一つは俳句であります。俳句理
論を熟考しました。鎮魂の祈りを捧げる日時と
同じくらいに。

どんな人にも家族との別離は有ります。戦争
を憎み、己の無力さに忸怩たる思いの日々を
過ごされた事でしょう。

戦争への想いの句を詠めるようになったのは、
子息を亡くされて何年経ってからでしょうか?
広島・長崎のことを思い続けたことも幾夜に
及びます。

思い出したくない戦争への想い、その想いを
胸に句を詠もうと思いました。

悲しさや、悔しさの感情が昇華され 数字で
表すことで現実を直視することが出来ました。

子息や教え子たちの死から、新しい教え子た
ちに戦争の愚かさ・悲惨さを語り継いで来ま
した。その想いを集大成するような句となり
ました。

数字だけの句ですが、これは 戦争の愚かさ
にいきどおる枯石翁の絶唱です。
人間の末来への希望の絶唱です。
教育者の絶唱と信じます。  了。








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# by kodaira220 | 2017-08-02 09:00 | 俳句 | Comments(5)

俳句アラカルト



  俳句アラカルト  清 水 弘 一

 空蝉のしがみついても過去は過去 
       中川
岱子(たかこ))

    ー所属誌「山火」 足利市俳人名鑑より -   2017-38



空蝉(うつせみ)の背中を一刀のもとに切り
下げた如き名刀の切れ味が感じられる。

作者の生きる姿勢・矜持が句にあらわれ
外連味(けれんみ)がない。

脱皮した蝉たちは、地下生活からの新天地で
アブラゼミもヒグラシも背をそらして大音声
に自身の存在をアピールする。地下の時代の
長い憂愁を振り払うかのように。

蝉は木の葉や木の表皮にしっかりと掴まり脱皮
する。蝉が羽化する様子を見れば、脱皮後の
蝉の抜け殻を想像することは可能である。

抜け殻を見るといさぎよく脱ぎ捨てたにも関わ
らず、死してもなお連綿と物事に執着している
様に見える。空蝉を突き放して見ているようで
あるが、空蝉に対する讃辞と思えて来るが
いかがでありましょうか。

人間と言う生き物は、弱い心やあきらめの悪い
醜態を見せるものである。
絶えず自覚して
いても生き方に執着しているのは蝉でなく弱い
心の人間そのものであると気づかされる。

蝉は地中から世に出てきて、力強く脱皮し
短い時間の蝉の世を精一杯生きていさぎよく
天寿をまっとうする。

蝉は過去といさぎよく決別している。
しがみ付いているのは人間であり人間の中に
巣くう邪悪なものや折れる心を蝉に見られて
いるのかもしれない。

人は過去の栄光、現役時代の成功体験に
固執し、新しいステージへ中々踏み出せない
でいることがありはしないか? 新しい環境
を受け入れることに躊躇してはいないか?

蝉の脱ぎ捨てた衣装にも、蝉の生き方の美学
にも学ぶべきことは多い。

清冽な生き方を蝉から学び取ることも出来る
とこの句は教えている。     了。






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# by kodaira220 | 2017-07-24 08:25 | 俳句 | Comments(3)

俳句アラカルト



  俳句アラカルト  清 水 弘 一


おお極致極致かな大花火やあ   荻原枯石

- 足利市俳人名鑑 第4集より -   2017-37


全てが感嘆詞で成り立っている。俳句とは
かくあるべきと示されている。

枯石翁は日野原聖路加名誉医院長より一歳
若い104歳で逝去され共に
豊かな老いを
楽しまれたと推察致します。

枯石翁は足利市で人生の二倍程を教育界
一筋に過ごされました。足利の花火は
1903年に開始され今年103回の
「足利夏まつり」となりますので、
その人生は足利の花火と同期生の様な
相思の関係であったと思われます。

花火を表現すのには感情を感性のまま
に表すのが最も適切である。しかし
最短の詩歌を感嘆の言葉で表現する
のは練達の俳人でなければ成しえない
高みである。一世紀にわたる感動や
思いが凝縮されております。

おお 極致 極致 かな 大花火 やあ 

花火の名玉・尺玉 約2万発が毎年
夜空を焦がしますが、2万発の彩り・
大きさ・高さ・匂い・音・一瞬の芸術
性の表現がそれぞれ異なり、それぞれ
の華やぎが感じられます。緻密な細工
や予測の構図を形作る花火師の生き方、
それを育て伝統を無骨に守る地域性まで
が花火の光りの輪の中に集約されます。

市の中央を流れる渡良瀬川と花火師と
市民の心意気が守って来た足利花火大会
は 今年度
85日(土)pm7時打ち上げ
開始、
845分までの約2時間

渡良瀬川の特設会場で行われます。
是非眺めの良い場所からご照覧頂き度い
とお勧め致します。

足利夏まつりの七夕飾り:7月29日
(土)から8月5日(土)北仲通り

山姥切国廣展の「布袋国廣」の展示※:
7月29日~8月31日足利学校

ミュージカル「足利物語」8月3日~4日 
織姫神社

七夕ジャズナイト、 ダンスコンテスト
 8月3日~4日  商工会議所

で行われます。         了。

※山姥切国広展(やまんばぎりくにひろ)
平成29年3月4日~4月2日
足利市立
美術館で行われ略4万人の来場者があり
ました。来場者の95%は女性、年代別
では若い女性が85%を占め、刀剣女子
との言葉が生まれました。











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# by kodaira220 | 2017-07-21 08:45 | 俳句 | Comments(2)

俳句アラカルト



   俳句アラカルト  清 水 弘 一


太陽の目玉とうもろこしはじける  
小川葉子

- 多摩のあけぼの 創立三十周年記念句集より -   2017-36



とうもろこしは太陽から生まれた様な黄金色
をし、元気を発散している。

太陽神と言うとエジプトの古王朝とマヤや
インカに思い至る。
日本でも

(あま)(てらす)大神(おおみかみ)は太陽を人格化した神である。

マヤの暦は紀元前数百年の時点で略完成され、
以後メゾ・アメリカの各地各時代に使われ続け
た。メキシコ国立自治大学の校舎全面にモザイ
クの壁画 フォアン・オゴルマン作では太陽神
が今でも輝いている。

とうもろこしと太陽神と言えば、インカに集約
される。インカの王は太陽の子と言われ、クス
コには太陽神殿(コリカンチャ)がある。
壁には
20cm以上の金の帯が付けられ、金で
おおわれた太陽の祭壇があり、陽の光りを受
けて輝いていたと言う。月の神を祭る銀の間も
隣接する。

古代アンデスの神話によれば、トウモロコシを
この世にもたらしたのはインカの妻である
ママ・ワコだとされる。
大貫良夫監修「インカ帝国」よりー。

3000m以上の段々畑(アンディネス)ではジャ
ガイモ、
3000m以下ではトウモロコシが作られ
た。トウモロコシは主食であり、チチャ酒
(主にとうもろこしから)も作られる。

以上の様なことに思いをはせると太陽の目玉が
トウモロコシであったと納得するに至る。
インカが創りだしたトウモロコシとジャガイモ
がなかりせば
,地球上に70億もの人間は狭い
地球に生存出来なかったことは明白である。

エジプト人のビール、ローマ人のワイン、
インカ人のチチャ酒、日中韓の酒がなければ
人間はこれ程幸せで勤勉であったか否かと
思いめぐらせる。

太陽の目玉とうもろこしはじける とは採り
たて・茹でたて・焼きたての観察からの印象
を詠んだと思われるが、太陽とトウモロコ
シの取り合わせはインカの太陽神信仰と
トウモロコシの誕生が念頭になければ発想
できない感覚である。


ディエゴ・リベラ、ピカソ、岡本太郎と同じ
画家の目玉を持っている俳人かも知れない。 
太陽にトウモロコシはよく似合う    了。






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# by kodaira220 | 2017-07-19 14:52 | 俳句 | Comments(2)